ゆうさくの外部装置

de omnibus dubitandum. by Karl Marx

ブログ再開?

 このブログの開設日は2020年4月14日。説明欄(管理人にしか表示さない?)には、そのような記載がある。最新の記事は、2020年7月4日に書かれたもののようだ。

 2020年の4月といえば、僕が養成校の3年生になった頃だ。当時、まだ20歳だった。そんな僕も、今年の7月には25歳になる。ありきたりではあるが、時の流れは早いものだと実感する。2018年末あたりからTwitter(もう今となってはXになってしまったが)での活動を始めたので、当時から付き合いのある人とは丸5年以上を共にしたことになる。いつもありがとうございます。

 

 2020年の4月は、新型コロナウイルス感染症の日本初の感染例が確認されて数ヶ月、急速に感染者数が増加していた時期だったと記憶している。最初はたいして気にもとめていなかった事態が、数ヶ月のうちに急速に範囲を広げ、強制的に意識させられ始めていた。確か、同月には最初の緊急事態宣言が出されたはずだ。

 当時の状況については、今改めて考え直してみる必要を感じている(時間的余裕も知性も持ち合わせていないわけだが…)。ジョルジュ・アガンベンがリアルタイムで興味深い批判を行っていたが、そのような系譜はあまり活気付いていないような気がするのだ。あのような極端な状況において、共鳴するように極端化した現代社会のあり方というものを、現代社会そのものの一つの現れとして眺め直すことは、実に有意義なことなのではないか。ポストコロナ社会などと言われたりもするが、重要な点においては当時と変わらぬ社会を生きているのだという認識が僕にはある。つまり、当時について考えることは、同時に現在について考えることでもあるような気がするのだ。とはいえ、やはりミネルヴァの梟は黄昏に旅立つのだなという思いもある。

 

 当時、いくつかの記事をブログに書いては、Twitterに共有していた記憶がある。有難いことに数人の読者はいたが、数記事書いたのち、全く手をつけずに放置していた。上記に開設日と最後の記事を書いた日付を記載したが、三日坊主とは言わないまでも、3ヶ月坊主であった。そのときの記事は全て下書きに保存してある。今読み返すと、語り方が現在とは全く異なっていることに驚く。これほどまでに変化しているのかと感じると同時に、当時の記事にも「痛み」という言葉があることに目が止まった。

 それも当然のことである。僕の記憶が正しければ、痛みに関心を持ち始めたのは2019年あたりだったはずだ。当時は、神経科学の領域に関心を持っており、痛みの神経科学(ところで、痛みの「科学」なるものは可能なのだろうか?)関連の文献によく目を通していた気がする。それと同時に、ブログ記事にはしなかったが科学哲学などの分野にも少し手を伸ばしていたはずだ。

 当時の自分の記事をチラッと見た感想としては、実につまらなかった。そこには、素朴な文章が並べられていた。Pain neuromatrixだったり、Dynamic pain connectomeなんて言葉が並んでいる。しかし、その一方で、自身の過去の足跡が克明に残されている空間は、少しだけ心地が良かった。

 当時も、本当に必死だった気がする。無我夢中で本を読み漁り、それっぽい言葉を並べては消し、書き直し。そうやって文章を書いていた気がする。その点においては、現在と変わるところはないだろう。また、辿ってきた過程を見ることで、現在の立ち位置が若干鮮明になったような気もする。やはり、何かを語り続けたからこそ得るものなのだろうか。

 それこそ実に素朴ではあるが、語り続けることの必要性を感じた。とはいえ、何かを論ずることができるほど、僕は頭の良い人間ではないことも、この数年間に痛いほど経験してきた。

 さぁ、どうしたものか。とは思ったが、そんなこと言っていても仕方がないことも学んできたのだ。とりあえず、考えていても仕方がない時には、こうやって僕の指とスマホの画面に身を任せながら、どんな文章が書かれていくのかを眺めてみるのも良い。そういうことなので、ブログを再開してみることにした。

 特に、書くことは決めていない。その時々に思ったことを、適当に書き連ねる日記みたいなものにでもしようかと思っている。読まれるかは分からないが、別に読まれなくてもいいのだ。多分、未来の僕が読む。