No Pain , No Gain.

de omnibus dubitandum. by Karl Marx

免疫から痛みを考えてみるってのは割りと面白いんじゃないか?

 今日、いつものように喫茶店に行ってたのですが、そこでコーヒーを飲みながらゆっくりと色々考えていたら、ふと「免疫から痛みを考えてみたら面白いんじゃないか?」という考えが頭をよぎりました。蛇足になりますが、僕は頻繁に喫茶店に行きますが、本を読んだり、考えごとをするのに利用するなら、今どきな感じの「オシャレで綺麗なカフェ」みたいなところよりは、店内でタバコが吸えるようなレトロで少し汚い感じの空間が好きです。共感していただける方いますかね?(笑)まぁ、そういうどうでも閑話を話すのはやめて話題を戻しましょう。以前から、何度かTwitter(X)に神経-免疫システムと痛みの関係についてのツイートをしていました。しかし、あまり話を発展させずにきたので、今日はいい機会ですから、そういうことを少しブログに書いてみたいと思います。

 今日ふと頭に浮かんできたのは、免疫系と痛みの関係(そのメカニズム的な側面)などを考えている人は以前から沢山いるんだけども、何かもっとこう違う感じの考えに繋げられるのではないかという可能性についての思いでした。一応、補足しておくと、前者の文脈というのは結構多く研究されています。というのも、少なくとも侵害受容過程(「痛み」ではなく…!)や慢性化の過程(?)において、免疫系が積極的に関与してくるということが実証されているからです。こういうのは、ちょっと文献を検索するといくらでも引っかかるので、そちらの方をご覧いただければいいかと思います(例えば、[1, 2]の文献など)。僕が言いたいのはそういう文脈ではなく、むしろ「免疫」というものを介することで、今ある痛みの認識に疑問を突きつけることができるのではないか、ということです。僕自身、今日ふと思いついたことなので詳しくは述べられませんが、結構面白いことになるんじゃないかという気がしています。ここは僕のブログですし、大して誰にも読まれていませんから(笑)、全然アカデミックな文章などではないですが、ちょっと試しに話してみることにします。

 まずはじめに、生命の誕生した場面について考えてみます。もちろん、その場面がいつだったのかとか、それはどのように生じたのかとか、何が「生命」なるものの本質的特徴だと言えるのかとか、なぜ生命が誕生したのかとか、そういう複雑で厄介な問題を解明してやろうというわけではありません(笑)。そういうのは、全くもって僕の手に負えない問題ですからね。そういうことではなく、ある時、ある場所に、「生命」だとみなされる存在が誕生した、とひとまず想定してみることからはじめます。現在の一般的認識から言うと、最も原始的な単細胞生物なんかを想定してもらえるといいかと思います。おそらく生命にとって非常に重要なのは、それを維持し、繋ぐことです。そのためには、様々な能力が必要になることでしょう。それは、人間でいうと呼吸や消化、排泄、生殖など、そういう様々な機能を含むかと思いますが、そういう内部的な問題とは別に、外部から与えられる危険を避ける、あるいは与えられた損傷を再生し、何とか生命としての統一性を保つ必要性なども出てくると思います。つまり、一定期間生き延びることが必要であり、「生命の存在と共に危険が存在した」と言えるのではないかと思います。ある研究者は「危険は生命そのものと同じくらい古いものであるに違いない」と述べていたりします[3]。おそらく、そのような危険を回避するためには神経系と免疫系が重要な働きをしていたのではないかということが、多くの研究で指摘されていますし、僕もそれはそうなんじゃないかと現時点では考えています[4, 5]。もちろん、単細胞生物に神経系はないわけですが、最近では cognitive cell なんてことが言われていて、単細胞生物も環境を cognitive に把握して、危険を回避しているのではないかと考えられていたりします[6]。もちろん「認知とは何か」という問題は別であるわけですが。免疫学者の矢倉英隆は次のように述べています。「神経系が存在しない細菌や植物も厳しい条件のなかで生き延びているが、そこで認知機能を担い生存を支えているのは免疫システムではないかと推論した。(...中略...)もしこの結論を受け入れるとすれば、免疫システムは最古の認知システムを構成していることになる」[7]。矢倉は、その後「免疫の形而上学」の考察へと進み、それがもたらすものとして「汎心論的世界」の検討をしていきます。これも実に興味深いのですが、個人的な感想としては「仮に単細胞生物や植物などが cognitive な免疫システムを備えていたとしても、そのような側面というのは、動物意識の質的な語彙を用いなくても述べることができてしまうのではないか?」というものでした(おそらく、その「意識」なる概念を拡張することを志向している以上、僕のこの感想は矢倉の論に対してはズレていますが)。

 一旦、仮説的に免疫システムは cognitive であり、それはある種の単細胞生物においても実現されており、それによって生命を危険から守ることができているが、おそらくそこには意識の質的側面はないかもしれない、あるいは少なくとも人間と同じような意識経験はないだろうと考えてみましょう。つまり、生命は無意識的に世界の危険を察知し、それを回避する cognitive な機能を単細胞生物レベルから持っていたということです。チャーマーズの「哲学的ゾンビ」を想起してもらってもいいかもしれません。

 ここで重要になってくるのが、痛みの機能についての現代的な考え方です。つまり、「痛みは身体の危険を知らせる警告信号である」というアレです。僕が見ているかぎりでは、どうやら痛みのそのような機能が生命を守るための最も重要な機能であると考えられているような気がしてならないのですが、僕はそれを非常に疑わしい見解だと考えています。生命を危険から守るためのシステムは、痛みのような質的な側面、つまりクオリアを伴う経験の語彙を用いずに語れてしまうのではないでしょうか。例えば、脊髄反射は重要です。僕は Weisman らが指摘しているように、「侵害受容器と脊髄反射が実際の警報メカニズム」であるというスタンスをとっています[8]。彼らの主張によると、先天性無痛症患者の寿命が短いのは神経学的欠損とそれに伴う侵害受容、脊髄反射の欠如によるのであって、決して「無痛であること」によるのではないということになります。おそらく、そのような神経系の反応と密接に関係しながら、ここで話しているような免疫系による cognitive な反応も機能しているのだと思います。これまでの疼痛医学における重大な誤りは、痛みと侵害受容を混同してしまうところに端を発しています[9]。これによって、侵害受容の機能であるものが痛みの機能であるかのように語られてきた、というのが僕の認識です。この点は、しっかりと考えられる必要があると僕は思いますが、あまり研究者界隈では触れられることがありません。

 まぁ、何が言いたいのかというと、現在語られている痛みの機能というのは神経系や免疫系が無意識的になす機能のことであって、「痛み」という経験が持つ本質的な側面を語れていない、あるいは「それは痛みの機能ではない」と言える可能性があるのではないかということです。もちろん、免疫系や神経系が危険を回避するための機能を持っていたとしても、それが痛みもそのような機能を持っているという可能性を排除するわけではありません。それには、また別の批判が必要になります。しかし、「痛みがもともと情報提供のために選択されたという考えや、現在この特定の能力で生物の適応に寄与しているという考え方を支持する生物学的証拠はない。したがって、痛みの適応的価値が主にその情報提供的な性質にあることを示唆する証拠はない」し、「神経学的な証拠から、痛みは侵害受容システムの調節機構によって、主に情報提供の役割を果たすことが組織的に妨げられていることが示されている」という Casser による説得的な批判がある以上、痛みが危険を知らせる警告信号であることについて語るべきなのは批判者ではなく、むしろその擁護者の方であるのではないでしょうか[10]?

 とまぁ、色々とここまで書いてきたわけですが、その過程で非常に多くの重要な問題、慎重に触れなくてはならない問題に不用心にも接触してしまったわけですが、その点に幾分かの不安を感じつつも、たまにはこうやって無謀にも触れ、語ってみることが必要なのではないかと自問自答しつつ、これ以上は一旦黙ることにしましょう。ではでは。

 

参考文献

[1] Baral, P., Udit, S., & Chiu, I. M. (2019). Pain and immunity: implications for host defence. Nature reviews. Immunology, 19(7), 433–447.

[2] Rittner, H. L., Brack, A., & Stein, C. (2008). Pain and the immune system. British journal of anaesthesia, 101(1), 40–44.

[3] LeDoux J. E. (2022). As soon as there was life, there was danger: the deep history of survival behaviours and the shallower history of consciousness. Philosophical transactions of the Royal Society of London. Series B, Biological sciences, 377(1844), 20210292.

[4] Chiu, I. M., von Hehn, C. A., & Woolf, C. J. (2012). Neurogenic inflammation and the peripheral nervous system in host defense and immunopathology. Nature neuroscience, 15(8), 1063–1067.

[5] Kraus, A., Buckley, K. M., & Salinas, I. (2021). Sensing the world and its dangers: An evolutionary perspective in neuroimmunology. eLife, 10, e66706.

[6] Lyon P. (2015). The cognitive cell: bacterial behavior reconsidered. Frontiers in microbiology, 6, 264. 

[7] 矢倉英隆. (2023). 『免疫から哲学としての科学へ』, みすず書房, 244頁.

[8] Weisman, A., Quintner, J., & Masharawi, Y. (2019). Congenital Insensitivity to Pain: A Misnomer. The journal of pain, 20(9), 1011–1014. 

[9] Cohen, M., Weisman, A., & Quintner, J. (2022). Pain is Not a "thing": How That Error Affects Language and Logic in Pain Medicine. The journal of pain, 23(8), 1283–1293. 

[10] Casser, L. C. (2021). The Function of Pain. Australasian Journal of Philosophy, 99(2), 364–378. 

Nociplastic pain———疼痛医学が完全なる覇権を握るときが来ましたか?

 どうやら近々、Nociplastic pain についての研究会が開催されるようである。僕はその研究会に参加する気は今のところないので、研究会の開催や内容についての批判を展開することはしない(一応述べておくなら、第1回の研究会には参加したが、興味深いお話も聞けた。その節はとても感謝している)。むしろ、ここで問題にしたいのは Nociplastic pain という用語の医学への導入そのものについて、あるいはNociplastic pain という用語を導入する意味についてである。

 Nociplastic pain についての言説を見ていると、どうも 'Nociplastic pain' という概念の登場を大変ありがたがっている方が多い印象である(もちろん批判的な研究者などもいる)。だが、この用語の導入は実質、全ての痛みを医学のフィールドに包摂し、他を寄せ付けないためのものである、というのが僕の見解である(あるいは少なくとも、そういう大きな運動の一部である)。つまり、それは患者のためのものであるというよりも、医学のためのものなのではないかと疑っているのである。このあたりについて、今回は語ってみようと思う。

 少し前まで、医学上で痛みは3種類に分類されてきた:侵害受容性疼痛、神経障害性疼痛(以前は神経因性疼痛)、心因性疼痛である。この分類は、かの有名な二元論の子であると謳われてきた。つまり、一方には身体由来の痛みがあり、他方には心由来の痛みがあるということだ。まぁ、ここでよく問題にされている「心因性疼痛」という分類の是非を問うことはしない[注1]。単に、そのように分類されてきたということを確認したかっただけである。しかし近年、心因性疼痛という分類の衰退に伴って、侵害受容性でも神経障害性でもない痛みが臨床的な問題となった。このような事態に対応するべく提唱されたのが「Nociplastic pain」という用語である[注2]。この用語は、2016年に提唱され[7]、2017年に正式に IASP によって採択された。Nociplastic pain とは「(定義された)侵害受容性でも(定義された)神経障害性でもないが、侵害受容の変化から生じていると推測される痛み」のことである[2]。また、この点も非常に重要なのであるが、Nociplastic Pain という臨床的仮説と ICD-11 の「慢性一次性疼痛」という診断分類と「侵害受容の中枢性感作」という神経科学的な機構の説明の間には差異がある。それにも関わらず、一部の研究者は「『nociplastic pain』はそれ自体が診断名であるばかりでなく、『慢性一次性疼痛』の主な基準である『他の慢性疼痛状態では説明できない』すべての状態を説明できると主張している」のである[2]。「『慢性一次性疼痛』が『nociplastic pain』を意味し、『nociplastic pain』が『侵害受容の中枢性感作』を意味すると読者を誘導している」研究者も存在するほどである[2]。これは非常に恐ろしい事態なのではないだろうか?あくまで仮説的構成概念である Nociplastic pain を診断実体と混同し、そのメカニズムとして中枢性感作の説明も含まれることで、あたかも実質的に全ての痛みが医学的な問題であるかのように錯覚させられることになるだろう。これは、「生物心理社会モデル——その欺瞞的言説、あるいは隠蔽された猛毒的性質」でも取り上げた 'concept shifting' によって、医学の範囲を拡張する試みの一形態であるとも言えるだろうか。

 僕たちは既に忘れてしまっているが、痛みは決して医学上だけの問題ではない。モリスが指摘したように、「私たちの文化では—工業化が進み専門技術者によって支配された現代の西洋世界では—痛みはまったく単純に医学の問題であると巧妙に信じこまされている」し、「今日私たちの文化は自ら進んで、感謝しながらと言ってもいいくらいに、痛みを説明する仕事を医学に譲り渡してしまった。(...中略...)ほとんどあらゆる時代、あらゆる文化において、医師というものがあったにもかかわらず、痛みの意味がこれほど完全に医学の分野になったのは有史以来初めてである」ということを忘れてはならない[3]。彼曰く、それは「西洋世界」のことであるようだが、むしろそれは「無国籍の痛み」と言った方が適切に説明できるかもしれない。イリッチは「医学文明は痛みを技術の問題に変えてしまい、その際、受苦からその固有の個人的意味を奪い去ってしまう傾向がある」と述べ、次のように展開する:「諸々の文化は意味の体系であり、無国籍の文明は、技術の体系である。文化は痛みを意味のある体系の中に統合することでそれを耐え得るものとするが、無国籍文明は痛みを無と化すために、主観的、あるいは主観相互間的文脈からそれを切り離してしまう。文化は痛みを、その必然性を解釈することで耐えうるものにするし、癒しうるとみられる痛みのみが耐え難いものなのである」(訳を一部変更している)[4]。痛みの問題が「意味の問題」から「技術の問題」に転換した云々の話は、Sullivan と Ballantyne の "The Right to Pain Relief and Other Deep Roots of the Opioid Epidemic" のChapter 1 に詳しいので、そちらを参照していただけると良いかと思う[5]。ここで問題なのは、あたかも痛みが「技術の問題」であると考えさせられることによって、それ自体も既に一つの意味であることを隠蔽しているところである。柄谷によれば、それこそが近代医学、あるいは科学的な医学の特徴である。「科学的な医学は、病気にまつわるもろもろの『意味』をとりのぞいたが、それ自体もっとも性の悪い『意味』に支配されている」[6]。

 Nociplastic pain とラベリングできれば、あとは医学の自由な場である。これは、ある意味では医学の勝利を意味する。「疾病に対する」とか「痛みに対する」ではなく、「痛みを抱える全ての人に対する」である。それは科学的な問題というよりも、むしろ政治的な問題であるのではないだろうか。全ての痛む人から、「科学」という知的制度の名の下に自身の痛みについて語る機会を剥奪することで、意味の問題に向き合うことを困難にするのではないだろうか。イリッチが言うように「文化は痛みを意味のある体系の中に統合することでそれを耐え得るものと」し、その不可避性・必然性を引き受けてきたのであるが、現代医学ではそれらは不可能化されている。それは、18世紀イギリスで生じた認識の変容の影響を受けているのかもしれない(詳しくは、過去のブログ記事とそこで参照している文献を読んでください)。あたかも、痛みの不可避性を隠蔽することで、全ての痛みは乗り越え可能であるかのように錯覚させられているのである。痛みの否定から勝利という幻想への距離はそう遠くはなかった。かつて全身麻酔の成功を謳った詩で、「痛みの死」が宣告されたように、むしろそれは痛みの克服という事態よりも、僕たちの欲望の表れにすぎなかったのかもしれない。BPSM の受容でも同様の問題があるが、僕たちは適切な距離を持って新たな発明・発見に向き合う必要があるのではないだろうか。僕たち自身の言葉で語る機会を保持するためにも、僕たち自身の苦しみに向き合うためにも、医学上の問題へと痛みの問題の全てを還元する傾向に抵抗しなければならない。そうでなければ僕たちは、自分自身の痛みを痛むことすらできなくなるだろう。僕たちは、Morrisの次の言葉を反芻することができる。「コンピューター断層撮影や磁気共鳴画像撮影のたびに、客観的で可視的な病変の存在なしには痛みを正当化できないという暗黙の論理が少しずつ強化されている。さらに、19世紀初頭に痛みを可視的なものに変え始めた歴史的な力が、診療所以外の場所での痛みの生活を見過ごし、過小評価するように促している」[10]。これと同じように、あらゆる痛みを医学的に説明可能なものにしようとする試みは、医学的な正当化なしには痛みの存在を許容できないような文化の暗黙の論理が少しずつ強化されていくことに繋がりはしないだろうか?この点は、非常に重要な問題であるだろう。

 

注釈

[1]  この問題をここで扱うには、記述すべき事柄が多すぎる。一つの大きな問題は、それは「気のせい」なのかという問題であることはおそらく間違いないだろう。個人的には、それが心因性であるということから、即ち「その痛みは幻想である」とか「想像上の痛みである」という帰結が必然的に導かれるかというと、そうではないのではないかと考えている。「心因性」という言葉は、痛みの由来について語るものであり、実在性について語るものではないと考えることも可能であるからだ。それはむしろ、「歴史的観点からの痛みと現在進行中の政治的運動」という記事でも取り上げたように、19世紀的な医学的背景によるのではないかというのが僕の仮説である。また基本的に、その起源と現在における是非の問題は分けて考える必要がある(発生論的誤謬を犯すことにもなりかねない)。現実の痛みと想像の痛みという二分法が、患者の経験する痛みの否定に繋がっているという点を考えれば、大きな問題である。しかし、痛みの経験を意味付けるのは医学的正当化にのみ依存することではない。むしろ、医学的正当化によってしか意味づけできないと思い込んでいること自体が問題なのである。

[2]  僕は「痛覚変調性疼痛」という日本語訳に大きな不満があるので、あえて日本語表記は採用しなかった。Nociplastic pain で重要なのは「侵害受容機能の変化」があるのではないか、という臨床的推論であり、「痛覚変調性疼痛」という日本語表記では「痛み」と「侵害受容」の境界が不適切に曖昧にされている。この点については用語委員会から提出された文書を見れば明らかである。痛み関連学会連合のホームページに掲載されている「Nociplastic pain の日本語訳に関する用語委員会提案 【要約版】」によると、「痛覚」を選択した理由として「『侵害受容』と『痛み』の間にあるさまざまな機構を示せる語感がある」という点が根拠として挙げられている[8]。これは実に曖昧な「根拠」なのではないだろうか。また、その理由として、解説論文では「altered nociceptive function」、「altered nociceptive pathway」、「altered nociceptive processing」などと表現されていることから、「ここでの『noci-』は,『侵害刺激の符号化過程』としての狭義の nociception だけではなく, 末梢から中枢までの『痛みの成立に関わる機構と過程』を包括的に指し示している」と解釈したことが述べられている[8]。しかし、解説論文にあるのは「侵害受容機能」、「侵害受容経路」、「侵害受容過程」、つまり「痛みの成立に関わる機構と過程」ではなく、「侵害受容の成立に関わる機構と過程」について語る言葉が並べられているのである。ここでも、何故だか不必要に語りが拡張され、境界が曖昧にされるのである。この点は、痛み関連学会連合用語作成委員会委員に名を連ねている牛田享宏氏が著者に含まれる最近の論文からも理解できる。その論文では、「Nociplastic とは『nociceptive plasticity』が由来の造語であり,『侵害受容・痛覚の可塑性』という意味である」と述べられている[9]。しかし、nociceptive plasticity は文字通り「侵害受容の可塑性」ではあるが、「痛覚の可塑性」ではない。これらから分かるように、痛覚変調性疼痛という日本語は「痛み」と「侵害受容」の境界線を不適切に曖昧にする解釈によって作られているのである。これらは疼痛医学に深刻な問題をもたらしかねない。あくまで Nociplastic pain とは非侵害受容性かつ非神経障害性の痛みについての臨床的推論による仮説的構成概念なのであり、「侵害受容の成立に関わる機構と過程」の変化に起因すると想定されている痛みのことである。ここにおける「侵害受容」と「痛み」の識別は決定的に重要であり、それを混同すること、あるいは不適切に曖昧にすることは避ける必要がある。それを助長しかねない「痛覚変調性疼痛」という訳は、再考に迫られているのではないだろうか。痛みと侵害受容を混同すること、あるいはその境界を曖昧することによる認識論的・言語的問題については[1]を参照。

 

参考文献

[1]  Cohen, Milton et al. “Pain is Not a "thing": How That Error Affects Language and Logic in Pain Medicine.” The journal of painvol. 23,8 (2022): pp.1283-1293. 

[2]  Cohen, Milton et al. “"Nociplastic Pain": A Challenge to Nosology and to Nociception.” The journal of pain vol. 24,12 (2023): pp.2131-2139. 

[3] デイヴィド B. モリス, 渡邉勉, 鈴木牧彦. (1998). 『痛みの文化史』, 紀伊国屋書店, 2, 30-31頁. (David B. Morris. (1991). "The culture of pain", University of California Press). 

[4] イヴァン イリッチ, 金子嗣郎. (1979). 『脱病院化社会』, 晶文社, 103-4頁. (Ivan Illich. (1976). "Limits to medicine—Medical nemesis: The expropriation of health", Marion Boyars Publishers). 

[5]  Mark Sullivan, Jane Ballantyne. (2023). "The Right to Pain Relief and Other Deep Roots of the Opioid Epidemic", Oxford University Press

[6] 柄谷行人. (2008). 『定本 日本近代文学の起源』, 岩波書店. 157頁. 

[7]  Kosek, Eva et al. “Do we need a third mechanistic descriptor for chronic pain states?.” Pain vol. 157,7 (2016): pp.1382-1386. 

[8] 痛み関連学会連合用語委員会. (2021). 「 Nociplastic pain の日本語訳に関する用語委員会提案 【要約版】」, https://upra-jpn.org/wp-content/uploads/2021/10/Nociplastic-pain-の日本語訳に関する提案.pdf, 2024.4.11閲覧

[9] 猪狩裕紀, 牛田享宏. (2021). 「慢性疼痛のメカニズムとアセスメント」, Jpn J Rehabil Med 2021;58: pp.1216-1220. 

[10]  Morris, D B. “An invisible history of pain: early 19th-century Britain and America.” The Clinical journal of pain vol. 14,3 (1998): pp.191-6. 

生物心理社会モデル———その欺瞞的言説、あるいは隠蔽された猛毒的性質

Roberts, Alex. “The biopsychosocial model: Its use and abuse.” Medicine, health care, and philosophy vol. 26,3 (2023): 367-384.

 

 昨日、実に面白い論文を読んだ。せっかく論文を読むのなら、こういう文章ばかりが読みたいものである…などと考えつつ、読んだ論文を題材にして、少し僕の雑感でも書いていこうかなと思う。

 近年の生物心理社会モデル(以下、BPSM)受容には凄まじいものがあると感じている(グローバルな意味で)。様々な分野の論文の中では、このモデルが多用されているし、それは僕の関心がある疼痛分野や精神医療分野においてより顕著である。とはいえ、日本の医師界隈やコメディカル界隈、柔整・あはき師界隈にどの程度浸透しているかと問われれば、答えに窮せざるをえない部分はあるが…まぁ、そんなことはどうでもいい。もう既に50年遅れなのだ。今更感が強すぎる。そんなことよりも議論すべき重要なことがあるのだし、個人的にはそちらに注意を向けていきたい所存である。

 しかしまぁ、少し厳しすぎる感はあるので、もう少し温和な態度をとるならば、近年少しだけ日本においても BPSM が浸透してきた感もないことはない。複数の学会で演題発表として語られ、論文化もされている。ガイドライン等でも触れられ始めたので、やっと50年分の遅延を取り戻してきた感もなきにしもあらずである。

 まぁ、僕の半ば愚痴みたいな話はここまでにして、本題の方に入っていこう。論文の著者は、BPSM が医学教育の場などで教えられるようになっているにも関わらず、「医学研究者や哲学者から比較的批判的な精査を受けていないのは驚くべきことである」と述べており、僕としても同感である。また、「 BPSM に対する既存の批判が深刻な問題を提起していることを考えると、この注目の低さは特に驚くべきことである」と述べられている点に関しても、僕は全面的に同意である。本邦にも、これから積極的に BPSM を輸入するムーブメントが生じるのかもしれないが、その際には細心の注意を払う必要がある。かつて Nassir Ghaemi が指摘した(1)にも関わらず、BPSM の折衷主義的側面は見て見ぬふりをされているのが現状であると思う。BPSM の「包括的な性質によって、その信奉者たちは、相容れない教条主義を含むさまざまな視点を自由に選択し、無計画に混ぜ合わせることができる」(強調ボク)のであるから、この点についての批判は核心的な部分である。

 それでは、著者が本論文で述べている本旨の方に進もう。著者は、実際の BPSM 自体の能力と研究者達の期待の間にある「ギャップ」に目を向ける。そのようなギャップを埋めるための策略として用いられる種々の誤謬によって語られる言説を、著者は 'wayward BPSM discourse' と呼んでいる。その中には、次の3つの戦略がある:Concept shifting, Question begging, Appeals to authority。このあたりについての著者の議論には説得力がある(詳しくは、論文の第3節と第4節を参照)。

 第2節において展開されているのは、一体 BPSM が何であるのかについての記述である。ここの理解は非常に重要である。なぜなら、おそらくこの部分の理解の欠如がギャップを生み出し、その溝を埋めるための不正がなされることになるからである。BPSM は、特定の疾患を認識するための「モデル」として利用される、つまりその語源からして「鋳型的に」利用される場合が非常に多いように感じられる。しかし、誤解してはならないのは BPSM はそのような意味での「モデル」ではないということである。「 BPS モデルは医学の領域がどこまでなのかを議論するためのモデルなのであって、個別の疾病に関するモデルではない」(2)。これは Roberts も指摘しているように、「 BPSM とは何かというと、基本的には、病気には生物学的、心理学的、社会的要因が関与しているという一般的命題(the general proposition)である」ということだ。彼は、ここから帰結する BPSM の2つの限界を明示している。つまり、「第一に、BPSM には疾病とそうでないものを区別する基準や、特定の疾病を定義する基準がない」ということ、「第二に、BPSM 自体が因果関係を立証するための知的手段を提供していない」ということである。しかし、BPSM は「疾病について科学的な結論を提示」するために利用されていたりする。これらは、しっかりと認識されて然るべき指摘である。これらの限界から、Robert は次のように結論づける。「結論として、BPSM は『概念的枠組み(conceptual framework)』と呼ぶのが適切であるが、科学的モデル(scientific model)でもなければ、疾病の説明モデル(explanatory model)でもない(Bolton and Gillett 2019; Ghaemi 2011; McLaren 1998; Quintner and Cohen 2019)」。実に素晴らしい指摘だ!この点を認識するだけで、BPSM に付随する種々の誤りは是正されるであろうし、近年流行中の BPSM に則って慢性疼痛を疾病とみなそうとする政治的運動が、いかに不毛で無根拠な誤解によるものであるかが明確になる。

 しかし、ここで注意せねばならないのは、Roberts も指摘するように BPSM それ自体に全くもって価値がないということではない点である。「概念的枠組みとして、BPSM は健康と病気の決定要因に関する情報を整理し、伝達するための有用なツールとして機能する」のである。僕的な言い方をするならば、BPSM の価値というのは、医学の人間理解に reductionistic なそれから、holistic なそれへというパラダイムシフトをもたらした点にある。とはいえ、これは後述する危険な力の行使と背中合わせの状態でもあるのだが…。

 第3節は著者のいう 'wayward BPSM discourse' の説明であり、第4節は著者の主張を個々の事例に合わせて検証するセクションなので、実際に文献の方を読んでもらって、皆さんにも検討していただきたい。それゆえ、僕がここで述べることは何もない(とは言いつつも、最後に若干の疑問点を述べる)。

 個人的に最も興味深かったのは第5節、その中でも特に 'The medicalizing power of wayward discourse' と名付けられた小節である。第5節の冒頭で「 wayward BPSM discourse は、あいまいな病気現象(すなわち、理解されていない行動、症状、経験)を、仮説上の「疾病」へと変容させる空間を作り出す」と述べられている点も、個人的には非常に興味深い。まぁ、とりあえずその点については傍に置いておくとして、最も印象的なのは、本記事の序盤でも取り上げたように、BPSM が「自由」な折衷主義的側面を持つが故に、「疾病」という概念を利用して政治的な諸問題を作り出す空間を準備しているのではないかという BPSM の the medicalizing power についての指摘である。つまり、BPSM は新たな医療化の運動をドライブするかもしれないのである。この点が、中盤で匂わせておいた「危険な力の行使」に関する部分である。Wayward BPSM discourse は、「 [1] あいまいな苦しみの状態を医学の範囲に属する器質的問題として時期尚早に表現し、[2] 医学と国家の力を不当に増大させる形で『疾病』の領域を拡大する」という医療化の手段になる潜在的な危険性がある。BPSM の人道主義的側面を強調する論文や脱医療化的側面を強調する論文が多数ある一方で、「 BPSM に基づく言説は、人間の苦しみのあらゆる事例を『医学的疾病』とみなすことが可能なほど曖昧な疾病概念も生み出している」のであり、前者の主張に懐疑的になるべきであることが指摘される。さらに、Roberts は BPSM の  the medicalizing power の帰結を強調する。それは端的に言えば、エリオット・フリードソンが医療社会学の古典的名著『医療と専門家支配』の中で明らかにしたような、専門家支配を助長するような方向性である。つまり、「『疾病』という言葉には、強力な社会的秩序化効果」があり、「この言葉は、目の前の問題は医学の専門家だけが理解できる、あるいは最もよく理解できるものであり、したがって、その専門家にはその問題に対する権威が与えられるべきだということを意味する。この権威は、法律的、政治的、社会的領域にまで及ぶことがある」のだということである。このような言説は、しばしば「科学的というよりむしろ、ほとんど明白に政治的である」ような形態をとることもある。このような医療化は「Engel 自身が始めた変化の集大成」なのであるが、「ここには科学的・政治的権威を束縛する代わりに、それを増幅させるメカニズムとなる『疾病』の概念がある」。この点に関して、例えば慢性疼痛を疾病だと言い張る医療従事者などは、真剣に議論するべきであると個人的には考えているし、それ故にこの問題点については僕自身も議論していきたいと思っている。いつか文書化できれば…。

 まぁ、これらの問題から、BPSM は適切に運用される必要があるのは間違いないだろうが、おそらく適切に運用された BPSM の価値というのは大幅に医療者の期待を下回るものであり、現在ほど崇められるようなものではないことが明らかになるだろう。重要なのは、適切な距離感である。

 実に興味深い論文であったが、一部疑問に感じる部分もあった。というのも、Roberts は Engel の「疾病(disease)」の取り扱い方に関して批判の矛先を向けている(つまり、Engelは「概念上の区別を不適切に曖昧にしている」と批判される)が、Roberts 自身が扱う「疾病」についても、ある種の一般的仮定を前提としているのではないか、と感じたのである(彼は、論文内でその点について認めているというか宣言しているし、それは古典的な二元論に由来するものである)。むしろ問題は、Roberts と Engel の間で争われている「疾病」自体が一体何なのかという問いであるような気もしないではない。Roberts 自身も書いているが、「彼(Engel)の論文で述べられているように、『生物心理社会的モデル』は練り上げられたモデルではなく、エンゲルが定義したような疾病の研究に原理的に適しているものに対する名前なのである」。このような観点に立つならば、Engelの言説を、単に「Concept shifting である」と告発することに、どれほどの意味があるのかは僕には判断できない。だが、Roberts 自身の主張が、彼の指摘するような Question begging に、あるいは Appeals to authority に該当しないのだろうか、という疑問はある。また、医学の範疇を設定するという問題も別で重要であるだろうし、人間の苦しみをどのように認識するのかというのも問題であるだろう。とはいえ、Roberts の論文内で述べられている Engel の議論の不適切さの指摘には納得せざるをえない。ここで僕が問題としているのは、その議論の仕方云々ではなく、むしろ彼らそれぞれの世界観である。Engel は議論の仕方が下手くそではあったのだが、彼が医学全般を視野に入れて包括的に議論し直そうとしたこと自体は評価したいところである(その方法と目的、帰結には賛同できないが)。この点については、慎重な議論が必要であることは間違いないだろうし、今後もっと積極的に触れられるべき医学上の問題であるとも思う。

 まぁ、これ以上の議論を展開するだけの力が僕にはないし、今日はこのへんで。ではでは。

 

追記(2024-4-8)

 記載するのを忘れていたが、Roberts はオンラインに論文内で取り上げきれなかった他の事例に関する詳細な議論を Appendix として公開している。そこには、'Chronic pain' の項目も含まれており、疼痛医学領域を専門にしたいと考えている僕にとっては非常に興味深いものであった。また、そこで引用されて議論の俎上に載せられている Clauw らの "Reframing chronic pain as a disease, not a symptom: rationale and implications for pain management." (3) という論文は、僕が現在執筆中の論文にも引用しているものであったので、興味深いというより、もはや興奮した。

 とまぁ、そういうことは置いといて(笑)、Roberts は上記論文内で wayward BPSM discourse が利用されていることを指摘する。この論文の「慢性疼痛が疾病であるという議論は、appeals to authority, concept shifts, and question-begging maneuvers に大きく依存しているように見える」とし、「慢性疼痛が疾病であると再認識されるのは、このような策略によるものなのだ」と結論づけている。重要なのは、痛みが生物心理社会的現象であるということと、痛みが生物心理社会的疾病であるということには随分とギャップがあるということだ。思い出していただきたいのだが、そもそも「BPSM には疾病とそうでないものを区別する基準や、特定の疾病を定義する基準がない」のである。

 個人的に、慢性疼痛を疾病とみなす動きは科学的なものではなく、むしろ政治的なものであると考えている。ゆえに、Roberts の主張には同意できるところが多かった。このような見解に対して、慢性疼痛=疾病派の人々はどのような反論を展開するのだろうか。非常に気になるところではあるが、それは今後の動きに注目するしかないだろう。

 

参考文献

(1)ナシア・ガミー, 山岸洋, 和田央, 村井俊哉. (2012). 『 現代精神医学のゆくえ———バイオサイコソーシャル折衷主義からの脱却』, みすず書房. (Nassir Ghaemi. "The Rise and Fall of the Biosychosocial Model", The Johns Hopkins University Press, 2010. )

(2) 杉本光衣. (2021). 「精神医療における「生物・心理・社会モデル」」,  新進研究者 Research Notes 第4号. 

(3) Clauw, Daniel J et al. “Reframing chronic pain as a disease, not a symptom: rationale and implications for pain management.” Postgraduate medicine vol. 131,3 (2019): 185-198. 

歴史的観点からの痛みと現在進行中の政治的運動

Doleys, Daniel M., Pain: Dynamics and Complexities (New York, 2014; online edn, Oxford Academic, 1 May 2014)

 

 今日は、Daniel M. Doleys の "Pain: Dynamics and Complexities" の関心がある章を拾い読みした。第2章の 'The History of Pain' と第8章の 'Pain as a Disease' を読んだが、ある意味ではこの2つの章はひとつながりである。

 第2章は、割りと一般的な痛みの歴史的叙述であり、読みやすいものであった。古代文明における痛み、特にエジプト人バビロニア人における痛みの記述から始まり、ギリシア人、ローマ人のそれへと移るというように、標準的な医学史と似たような構造を持っている。その後、中世におけるキリスト教と医学の関係および痛みの認識が記述され、ルネサンスを経て近現代へと進む。

 第2章で特に興味深かったのは、やはり近代についての記述であった。19世紀において、社会的不正義に対する関心が高まり、人間を苦しみから解放することが目指されたことが語られている。これは、昨日読んだ文献でも触れられていたことである。昨日書いたブログにも登場したジョン・ロックについて述べられていたのも印象的であった。さらには、19世紀初頭において、従来の痛みについての認識から、功利主義哲学の隆盛に続き、個人の痛みの緩和が有益な事業として受け入れられたことが述べられている。この点については、昨日の疑問点に繋がるヒントとなるかもしれないなと思って読んでいたが、残念ながら詳細な記述はあまりなく、さらっと触れられたのみであった。

 また、個人的に好きな David B. Morris の研究が取り上げられ、当時のアメリカ、イギリスにおける The invisible history of pain についても触れられていた点は興味深い。当時の時代的な力によって、痛みは目に見える対象へと還元されることになるが、その一方でロマン派的な認識によって、主観的なものとしても認識された。「皮肉なことに、痛みは『主観的なもの』であることを黙認していたにもかかわらず、当時の科学はなぜか、痛みの起源と現在進行中の基盤は客観化できると確信していた」のである。その結果、痛みは身体的で、客観的で、目に見える痛みと感情的で、想像的で、気のせいとしての痛みとに分かれることになる。

 この点について、以前文献調査をしていた際に興味深い文章に出会ったので引用しておく。これは、1912年に書かれた文章であるが、20世紀初頭においても、19世紀的な痛みの分類が持続していたことを示す証拠となるだろう。「 私たちは、現実の感覚の結果としての痛みと、感情的または想像上の痛みという 2 つの種類の痛みを明確に区別する必要がある」(1)。少なくとも現在、痛みをこのように分類する公的機関は存在しない。あるいは、むしろ意図的にこのような二分法は避けられているようにも感じる。こういった歴史的観点から示唆されるものとして、現在はなぜそう分類されないのか、そこにおける政治的力学の形式に関心が向く点があげられるだろう。

 とまぁ、こんな感じの章ではあったが、個人的に最も関心が惹かれたのは、引用されている Morris の文章であった。そこでは、次のように述べられている。「19世紀に司法制度は、公的に痛みを与える代わりに投獄を始めた。投獄は、臨床のまなざしが、科学の客観化された光で人体の内部を見つめる医師にのみ痛みが見えるものとしてそれを再定義したまさにその瞬間に、刑罰を私的な行為に変えた」(2)。

 ここに作用した政治的な力が一体なんであったのか、それを探究することは痛みの政治史を考える上で非常に重要となるであろう。

 ところで、冒頭で「ある意味ではこの2つの章はひとつながりである」と述べたことについても触れておこう。本書の第2章は「21世紀は痛みの歴史の中で最も目覚ましい変化を目の当たりにしている」と述べ、Siddall や Cousins をはじめ、多くの疼痛専門家が痛みを「疾患」として捉えることを推進している(3, 4)件について記述されて終わっている。つまり、それが現在地であるとして語られているのである。

 そのリアルタイムな政治的交渉の一部が第8章の記述なのである。第8章においては、慢性疼痛を疾患とみなす言説が再生産されている場を見ることができる。それは、Doleys がそのような事態を上手くまとめてくれているからではなく、Doleys 自身の言説が、そのような運動の一部としてあるのである。その点において、本書の第8章は貴重な資料になるだろうと思うし、分析の対象にもなるだろうと思う。そのような意味において、個人的には第8章も興味深かった。

 今日のところはこのへんで。ではでは。

 

参考文献

(1)Pillsbury WB. Psychology of Pain. Dent Regist. 1912 May 15;66(5):211-216.

(2)Morris DB. An invisible history of pain: early 19th-century Britain and America. Clin J Pain. 1998;14(3):191–196.

(3)Cousins MJ. Pain: the past, present, and future of anesthesiology. Anesthesiology. 1999;91:538–551.

(4)Siddall PJ, Cousins MJ. Persistent pain as a disease entity: implication for clinical management. Anesth Analg. 2004;99:510–520.

禁忌としての痛みとポルノ化された痛み

Halttunen, K. “Humanitarianism and the pornography of pain in Anglo-American culture.” The American historical review vol. 100,2 (1995): 303-34.

 今日は、痛みの文化史的な研究、特に英米系文化圏における人道的博愛主義と痛みのポルノグラフィーの関係についての論文を読んでいた。30年ほど前の研究ではあるが、この手の研究はあまり時間経過を考慮しなくても問題なかったりするので有難い(もちろん最新の研究動向は追ったほうが良い。あくまで程度の問題である)。個人的には、結構興味深いものであったが、若干僕の手には余る内容でもあったというのが正直な感想である。内容を十分に理解できたかというと、否定せざるをえないだろう。

 本論文では、 ジョン・ロックの感覚主義的な哲学とその継承者としての道徳哲学者たちが形作った the cult of sensibility によって、他人の苦悩に対する感受性が高い存在こそが道徳的な英雄として崇められ、このような感性崇拝が、痛みを避けるべきもの、根絶可能なものとして再定義し、新たな反発を導いたことが述べられているが、それと同時に、痛みのポルノ化が生じ、痛みの表現に変化がもたらされたことが語られている。つまり、人道的博愛主義的な感性が、痛みを道徳的・社会的なタブー、避けられるべきもの、根絶させるべきものと再定義していくに伴って、それを猥褻に披露すること、つまり痛みのポルノ化を促したのである。それを Halttunen は、「18世紀から19世紀にかけて英米系文化に現れた痛みのポルノは、意図的に痛みを与えることを中心としたさまざまな伝統的な文化的実践に疑問を投げかけた『文明化の過程』の想像的帰結を指し示している」と述べている。

 とまぁ、こんな感じに要約するのも良いが、せっかくなので個人的な関心に沿って文章を書いていくことにしよう。

 本論文では、特定の文化圏内における痛みの意味変容過程が丹念に追求されている。このような研究は、本文内でも引用されている David B. Morris が述べているように、痛みとは「常に歴史的なものであり、特定の時代、場所、文化によって常に再構築されるもの」であるからして、非常に重要であると個人的には考えている。

 例えば、現代において痛みは「避けられるべきもの」という、ある種の倫理的な必然的要請を含みながら語られる。あるいは、痛みの最中において、その当事者が痛みに対する忌避感情を抱くのは、至極当然のことであるとみなされているし、医療的な実践は全てにおいてそのような人道主義的精神で満ち溢れている。さらに拡大するならば、それは森岡正博氏が「無痛文明」と語った文明的なものにまで広げることが可能かもしれない。しかし、そのような必然性は、むしろ幻想の産物なのかもしれないと考えることは、無益なことだろうか?実際、麻酔出現以前の文化では、痛みは否定ではなく奇妙な形で肯定されていたし、西洋医学的な伝統もキリスト教的教義との結託によって、その不可避性を引き受けていた。あるいはもっと積極的に、痛みが自然治癒プロセスの一部であるとの認識から、痛みを軽減すること自体が避けられたりもしたのである。

 現代においては、 痛みに対する忌避感情が、もはや集団的な、つまり Fascism of pain relief のような形態で僕たちを支配しつつあるようにも思える。ニーチェに言わせるなら「現代のわれわれは、以前の人びとに比べてはるかに強く苦痛を憎悪し、以前に比べて苦痛をずっと悪く言う。(......)生存が洗練されて快適になることで、魂や身体の避けがたい苦痛、それも蚊に刺された程度の苦痛を、ひどく残酷で悪質なものと考えるような時代」を生きていると言えるのかもしれない。

 いや、むしろ、本論文はそのような忌避感情が生成される場を見せてくれるという意味で興味深い。 Halttunen によると、「 改革者の目的は、痛みの猥褻さを悪用することではなく、これまで受け入れられてきた広範な社会慣行を残酷で容認できないものとして再定義するために、痛みを暴露することであった」のであり、個人的には、このような認識の出現にこそ興味がある。上記にあるように、このような改革者たちの認識は、決して痛みに本質的なものではない。まさに、再定義されることによって作られたものである。

 さらに個人的に興味深いと感じるのは、このような文化的慣習が痛みの探求にすら影響を与えうるということである。18世紀の感性的な文化の高まりに合わせて、医師が患者に痛みを与えることに対する敏感さも洗練され、効果的な麻酔を発見しようとする努力が強化された。そのような努力は、1846年に一応の完成をみる。ロマン派的な痛みの見方が支配的になったことよりも、むしろ、そのようなロマン派的な流れの中から、痛みをリアリスティックに眺め、それを制御する技術の向上(つまり、麻酔の開発)が図られたこと自体が興味深い。

 さらに個人的な関心として、ロックの感覚主義哲学において、そのヒエラルキー内で視覚の優位性が強調されていたこと、さらにはその後の道徳哲学者たちにもそれが共有されていたことが示唆的だった。個人的に、痛みの実践における視覚の優位性について考えを巡らせていたので、いつかこれが合流してくることもあるかもしれない。

 また、ジョン・ロックという哲学者であり、医師でもある人物は、あまり日本の医史学界隈において注目されていない印象があるが、本論文の内容に則って考えるならば、少なくとも疼痛医学史においては重要な人物であるだろう。さらに、彼は健康の自己主権論を唱えたブルジョワジーであり、その点についても医史学的に重要であるようにも思える。あるいは、公衆衛生の哲学とでも呼べるようなものを構想する場合においても、彼は重要な人物になるかもしれないなと感じている。そこらへん、しっかりと展開できるようになるかは、とりあえず現在の僕としては分からない。

 もう一点追加で述べておくなら、疼痛医学史における「イギリス」というものに対する関心も個人的にはある。本論文においては、人道的博愛主義的な感性の知的起源は17世紀後半から18世紀初頭にかけての Latitudinarianism 派の神学者たちにあるとされているが、その後の流れを汲むものとしてイギリスの功利主義者たちを無視できないのではないかと僕は考えている。特に、18世紀から19世紀にかけて生きたジェレミーベンサムあたりが気になっているが、医学史的な文献ではあまり扱われていないように思う。福祉思想史、医療経済史あたりでは取り上げられていたりするが…。このあたりの関係については、また別の論文でも読もうと思う。

 とまぁ、こんな感じで興味深く読ませていただいた。しかし、若干消化不良な感があるので、再読していつか追記することにでもしようかな。ということで、本日はここまで。

ブログ再開?

 このブログの開設日は2020年4月14日。説明欄(管理人にしか表示さない?)には、そのような記載がある。最新の記事は、2020年7月4日に書かれたもののようだ。

 2020年の4月といえば、僕が養成校の3年生になった頃だ。当時、まだ20歳だった。そんな僕も、今年の7月には25歳になる。ありきたりではあるが、時の流れは早いものだと実感する。2018年末あたりからTwitter(もう今となってはXになってしまったが)での活動を始めたので、当時から付き合いのある人とは丸5年以上を共にしたことになる。いつもありがとうございます。

 

 2020年の4月は、新型コロナウイルス感染症の日本初の感染例が確認されて数ヶ月、急速に感染者数が増加していた時期だったと記憶している。最初はたいして気にもとめていなかった事態が、数ヶ月のうちに急速に範囲を広げ、強制的に意識させられ始めていた。確か、同月には最初の緊急事態宣言が出されたはずだ。

 当時の状況については、今改めて考え直してみる必要を感じている(時間的余裕も知性も持ち合わせていないわけだが…)。ジョルジュ・アガンベンがリアルタイムで興味深い批判を行っていたが、そのような系譜はあまり活気付いていないような気がするのだ。あのような極端な状況において、共鳴するように極端化した現代社会のあり方というものを、現代社会そのものの一つの現れとして眺め直すことは、実に有意義なことなのではないか。ポストコロナ社会などと言われたりもするが、重要な点においては当時と変わらぬ社会を生きているのだという認識が僕にはある。つまり、当時について考えることは、同時に現在について考えることでもあるような気がするのだ。とはいえ、やはりミネルヴァの梟は黄昏に旅立つのだなという思いもある。

 

 当時、いくつかの記事をブログに書いては、Twitterに共有していた記憶がある。有難いことに数人の読者はいたが、数記事書いたのち、全く手をつけずに放置していた。上記に開設日と最後の記事を書いた日付を記載したが、三日坊主とは言わないまでも、3ヶ月坊主であった。そのときの記事は全て下書きに保存してある。今読み返すと、語り方が現在とは全く異なっていることに驚く。これほどまでに変化しているのかと感じると同時に、当時の記事にも「痛み」という言葉があることに目が止まった。

 それも当然のことである。僕の記憶が正しければ、痛みに関心を持ち始めたのは2019年あたりだったはずだ。当時は、神経科学の領域に関心を持っており、痛みの神経科学(ところで、痛みの「科学」なるものは可能なのだろうか?)関連の文献によく目を通していた気がする。それと同時に、ブログ記事にはしなかったが科学哲学などの分野にも少し手を伸ばしていたはずだ。

 当時の自分の記事をチラッと見た感想としては、実につまらなかった。そこには、素朴な文章が並べられていた。Pain neuromatrixだったり、Dynamic pain connectomeなんて言葉が並んでいる。しかし、その一方で、自身の過去の足跡が克明に残されている空間は、少しだけ心地が良かった。

 当時も、本当に必死だった気がする。無我夢中で本を読み漁り、それっぽい言葉を並べては消し、書き直し。そうやって文章を書いていた気がする。その点においては、現在と変わるところはないだろう。また、辿ってきた過程を見ることで、現在の立ち位置が若干鮮明になったような気もする。やはり、何かを語り続けたからこそ得るものなのだろうか。

 それこそ実に素朴ではあるが、語り続けることの必要性を感じた。とはいえ、何かを論ずることができるほど、僕は頭の良い人間ではないことも、この数年間に痛いほど経験してきた。

 さぁ、どうしたものか。とは思ったが、そんなこと言っていても仕方がないことも学んできたのだ。とりあえず、考えていても仕方がない時には、こうやって僕の指とスマホの画面に身を任せながら、どんな文章が書かれていくのかを眺めてみるのも良い。そういうことなので、ブログを再開してみることにした。

 特に、書くことは決めていない。その時々に思ったことを、適当に書き連ねる日記みたいなものにでもしようかと思っている。読まれるかは分からないが、別に読まれなくてもいいのだ。多分、未来の僕が読む。